by Leilehua Yuen
translation by Kiriko Redondo
愛らしいフラガールが、その手の平のリズムと共に腰を左右に揺らし、スチールギターの奏でる旋律が柔らかい夜気を満たしてゆく。。
さて、これは、一般大衆的なフラのイメージであるが、本来のこの古代の舞踊の形は、遥かに上記のイメージとは、かけ離れた物である。
ハワイの王、デヴィッド・カラカウアは、次のように述べている。
「フラは、心の言語であり、それゆえにハワイ人達の鼓動なのである。」と。
フラとハワイは、おおよそ同じ存在と言っても過言ではないだろう。
というのも、どこに旅行に出かけても、人々は、その人物がハワイ出身であることを知るやいなや、一度は必ず、「あなたは、フラを踊れますか?」と尋ねてくるからである。そして、大体の人たちは、蒸気船や機関車が栄えた時代のフラを頭に思い描く。“腰蓑”のスカートを揺らしている様子、藁葺き小屋そして突き刺ささるように甘いスチールギターの音色。確かに、これはフラである、が、しかし実際は、フラの極一部にすぎないと言えよう。
フラは、ハワイ人達にとっての文学であり、それを見ること、学ぶことは、正に私達が、図書館に行くことと同じなのである。
棚には、農学、天文学、宗教学、系図学、それからその他ありとあらゆる学問の本がそこに置かれることだろう。ある棚には、神聖な聖書が置かれ、他の棚には、浦島太郎の昔話、それに清少納言に関する歴史の本が置かれるかもしれない。
ハワイ人達は、昔も今も、他の人々と同様の関心を持ち続けている。そしてフラは、昔も今も他の文学と変わらない用途を供給し続けている、それは、神聖な面と世族的な面の両方があるという所だ。生物と世界の創世を語った古典フラがある。それから様々な伝説や物語を語るフラがある。そして勇者、酋長そして女酋長などについて語るフラがある。一つフラを観るという事は、まさにハワイについて本を一冊読むのと同じことなのである。